今年の大会を振り返ると、1日目の出来がすべてだったのかなあ、と思います。

ロゲ、オリエンとナビゲーションレースが開かれるのは山でも麓エリアがほとんどですが、
OMMは山岳総合力を問われるレースというのをつくづく実感。

今回のように過酷な状況でも乗り越えられる山での経験値とタフさが一番大事な要素でした。

スピード練習をしたところで、持久力と装備を持てる強靭な体力、判断力、地図読み能力のバランスがとれていないと、2日間というステージをこなすのは難しい。

本場のOMMだと現役アスリートではなく、普段、普通に山を楽しんでいる人たちが上位に入るというのもナルホドねー、と思います。

日本のOMM、今年もやっぱり柳下さんチームが強かった。
ぶっちぎりでした。

スタート地点に行く際のゲレンデ登りにこっそり後ろについて行こうとしたら、「歩いているのに」めっちゃ速かった。忍者としか思えない…

1日目で失格となったので、2日目は最初からスタートしてポイントを回らずにゴールする、というのもありでしたが、リザルトで2日目に完走のグループに入ることができたのを知ると「諦めないで良かったー」と思いました。
まあ、早くゴールして、ホットワインやらショップ展示やら表彰式やら..そういったお楽しみにはありつけないのは昨年も今年も同じでゴール後のけんちん汁1杯でした。

昨年とは打って変わって、CP探しが時間をかけずに出来たのは、ポーリンのおかげ。
今度反省会の時に、コース取りの反省箇所は出てくると思いますが、目標を見つけられずにウロウロするという嫌ーな時間は短くてすみました。

私の走力不足が相変わらずだったのが反省する事しきり。

思いがけない収穫だったのが、今回大会を通じていろんな人と出会えたこと。
昨年の大会で会った人と再会を喜んだり、自分たちのコース取りを悟られないようにかたくなになっていた昨年とは変わって、今年はCPが見つけられない時に同じようにウロウロしている人に「どっち行きました?私はここから来たんですけどなかったんです」「じゃあ、今からこっち行くんで一緒に行きましょう」と一緒に行動したりする内になんだか全員と知り合いになったような気がしてきます。

1日目にリタイヤ決定の地点からテント場までの遠い遠いロードを一緒に歩いたみなさん。
途中のキャベツ畑のど真ん中にあるステーションで、誰かが「今夜ここでビバークしちゃおうかー。雨しのげるし」というのに全員うなずきかけたのが良い思い出です。

装備について
今回持って行ったレイヤリングはまずまず満足。

大会の1週間前にカモシカスポーツでTetonBros.のネオシェルが半額なのを見つけて、ますおさんに「これは絶対買いだよ!」と言われて購入したのを、今回雨具兼トップレイヤーとして持って行きましたが、これがよく耐えてくれた。

というのも、散々やぶ漕ぎをした結果、周囲の人がびりびりに破けてたのが、一切それはなかったです(コーティングはがれかけてるじゃん、と指摘されたけれど…)。

ただ、フード部分が顔を覆うには不足していて風で脱げてしまう。これはMILLETなどの登山ウェアを見習ってほしいところです。

ミドルレイヤーに薄手のはっ水加工のダウンを持って行きましたが、寒さは一切感じず。フリースと迷ったけれど、小さくできるこっちを選んでよかった。

レイヤーで唯一残念だったのがキャップで、これが背丈ほどあるやぶ漕ぎでしょ中脱げた。紛失まで至らずに済んだのは良かったけれど、やぶ漕ぎ必須の時って頭に何をつければいいの?(私はBuffでもよく脱げてしまいます)

靴はBrooksのカスケディアでレースの時はコレと決めているのですが、やっぱり雨と決まっていたら防水仕様のGORE-TEXにするべきだったのか。それは判断に迷います。
…というのも、1日目の雨雪と泥んこ祭りでGOREを履いていたポーリンも泥まみれだったのと、2日目のやぶこぎと雨具とのこすれで紐がほどけることが多く(サロモン履くことが多いと、この紐ほどけはヒジョーにイラッと来ます)、なかなか「全方位に死角無し!」という靴はないものですね。
じゃあ登山靴、となるところですが、やっぱり自分では走りたかったので。

荷物について
重量は、1日目のスタート時は私もポーリンも7.5kgから8kgでした。(2日目、雨を吸ったテントを持ったポーリンは増量していただろうな)

もっと軽くできる要素があるとすれば、食糧でしょう。
でも、2日間山の中で過ごすのに、ジェルとエナジーバー、アルファ米だけというのはさみしい気がして、大福・トレイルミックス(ベビースター、ブルボンのアルフォートなどをジップロックで混ぜる)、カルディで購入したおこげスープ、それに黒パン、クロワッサンも持って行きました。

1日目のストーブ故障実は酸欠かもで(大会での事故とならずに済んでよかった…「OMM嬬恋村キャンプ事件」とかシャレにならない...)お湯を使えなくなった際に、パンに助けられた。
結局大福は食べずに終わりましたが、いざとなればザックの中に大福、心に松岡修造がいるさ♪と思うと結構頑張れた。

とまあ、すべての装備や食料にに役割と意味づけがあったので、洗っても乾かしても未だに泥を吐き続けるモロモロを見てもなんだか愛おしいと感じます。
現在我が家は家の中が砂ぼこりです。

で、一番、ていうか今とても怒りを感じているのが、計測器の●PSON。
バッテリー容量なくなれば途中リセットされるのは致し方なしですが、1日目のゴール時にデータセーブをした際には残量70%だったのに…

まあ購入してから年数経っているからバッテリーの持ちが悪くなるのはしょうがない、と思いながら今回のデータを見ようとPCにつないで表示されるバッテリー残量を見たら、30%。
30%でリセットされるってどういうことやねん!ムキーッ。

2日目のデータ、カムバーック!


OMM、今年も反省点多いし、制限時間ギリギリで、すべてにおいて常に締め切りに追われて余裕を持てない心境に陥るというのが昨年とまったく同じという結果にしくじたるものを感じます。
写真1枚も取れなかったし。
参加した人の写真を見ると、スマホを取り出す余裕もないというのは貴重な機会を見逃しているよなあ…と。そもそも、エントリーカテゴリーが違うからだろっ、と思うのですが、
でもやっぱりまた出るなら、ストレートロングで出たくなるのはなんでだろうね...

ん、あれ?
雨の中、長い時間をかけてたどり着いたテント場は、たき火がたかれすでに先についた人たちで飲めや歌えの大騒ぎ、、、、というわけでもなく至って静か。当初は、テント場着いたら鍋パーティーしようとか話していましたが、雨はますますひどくなる中どんちゃんしている酔狂な方は見えず。

ここでトイレに入って、壁に張られた注意書きが目に入ると、初めてこの場所が良品計画の「カンパーニャ嬬恋キャンプ場」なことを知る。
一度は行きたいと思っていた場所なのに、この雨と暗さと疲労困憊ぶりで、なにがなんだかさっぱり分からないまま。もったいないことしたな。

設営したのは、ポーリンが知人に借りた軽いテント。
テントに入って早速ガスを炊いて暖をとりつつ着替えたり、食事の用意をしたりしていましたが、鍋をひっくり返しテント内を水浸しにするというのをやらかす。(もちろん犯人は私です。てへっ)
挙句の果てに、ガスが点火しなくなり予備のライターも用意していなかったため、最初のお湯で作ったアルファ米のドライカレーとパスタ以降は行動食ばかり食べてました。

そして夜寝袋に入って就寝。

...あれ。
...なんかおかしい。
気がつくと自分が口を開いて寝ている。
ポーリンも何度も起き上がる気配がするし、二人とも息遣いが荒くなる。
明け方になると頭痛まで出てきた。

結局ぐっすり眠ったという感覚もないまま4時半に起床。

標高が高いからかなあ…

翌朝、それが酸欠だった事に気づく。
テントには当然ベンチレーションもついていたのですが、降りしきる雨の重みで穴がほぼふさがれていたのでした。雨のテント設営は怖い事を実感しました。
テントのフライシートって大事だねえ。

ゆうべのガスが点火しなかったのも酸欠だったからかも?

さて、スタートリストで指定された自分のチームの出発時間は6時40分なので、それに合わせて準備をのんびりとしていたら、前日失格のチームは6時スタートだという事を知らされる。
ザサーッ(←血の気が引く音)

その時点で既に6時10分。
慌ててテントをたたむが、水気をたっぷり吸ったソヤツをポーリンのザックに押し込み(ポーリン、重くしてごめん!)、6時25分に2日目スタート。

前日の山岳エリアがコースに含まれていたらそこはパスしたかったのですが、スタートで渡されたのは、1日目よりも南のエリアの地図。しかも前日よりも地図サイズが小さい。

1日目に失格になっていることなので、2日目は早めに切り上げてゴールに戻ってくつろいじゃえよ!と、心の中のブラックスワンがささやきかけます。となると、一番遠くのエリアのCPは飛ばすかな、なんて考えてました。

CP7で関門時刻2分前にポイントをとった時には、もうここまでだと思ってしまった。
が、ポーリン、ぐいぐい先に進みます。

ここのあたり、身長の高さの熊笹やぶ漕ぎの繰り返しでキャップを落とす、そして転ぶの繰り返しでヘロヘロに。
やぶを脱出して歩こうとすると足がクロスになって出てしまう。ポーリンから「おなかに力入れて!」と声をかけられる。

先のCP8は林道とトレイルを登って行くルート。ここまでCP付近で出会う事が多かった混合チームにあっという間に置いて行かれる。ここで抜かされないようにしたいのにとてもついていけない。やる気が出ないまま、雨も上がったことだし昨日からずっと着ていた雨具をようやく脱ぎました。
「これからもやぶ漕ぎあるよ。いいの?その恰好だと服破れない?」とポーリンに言われるけれど、服が全身ビリビリに裂けようが、雨具を脱いだ快適さはもう手放せない!

再び前進を開始すると、後から来たチームが走って行くのを追いかける気力が出てきました。
そこから徐々にCPをとるたびに、関門時刻に余裕が出てくるようになりました。
...と思っていたら…ポーリンから「制限時間内に戻るよ。本来スタートするはずだった時刻(6時)に合わせて3時までに戻るのを目標にしよう」と告げられる。その言葉と地図を見比べて、ガビーーーンと(笑)。

ふと手元の計測計(●PSON)を見たら、設定リセットの画面になっている事に気づく。
現在時刻もここで分からなくなる。あー、ヤラレタ!

そこからは、嬬恋スカイラインをつかってゴールエリアのゲレンデまで行くのですが、ロードが遠い遠い。ただただ何も考えられずに進むのみ、という状態。

ただ、やはり速度は遅く、見かねたポーリンから目標を「制限時間9時間切りを目指す」に。
この目標もかなり微妙だなあ、と思いつつ、ゲレンデの入口が見つけられなかったり、ゲレンデ内のゴンドラに沿って登るの急だったりで...ストックを使えばいいじゃねえか、という考えにも至らず登り続け、やぶ漕ぎで進むと、やがてゴールを目の前にしたゲレンデにひょっこりと脱出できました。

....後で知ったのですが、2日目は8時間55分で完走できていた。
(遅刻ペナルティをするにも前日失格なのでマイナスできる要素なし)

女子1位という結果ですが、昨年に引き続き、最下位での完走組でした(笑)。
これはお約束かしら?
今回、何も考えずに「ストレート ロング」にエントリーしましたが、
直前に公開されたプログラムを読むうちに、心臓がバクバクと波打つ音が...。

え、いや、これって無理過ぎない?
それに女性チーム私たちだけじゃん!
2日間で直線距離55kmって、、、、そ、そんなに無謀すぎるかしら?
(昨年は2日間で50kmだった)

昨年と同じく、ポーリンとチームを結成したのですが
それは、昨年の伊豆大会の反省点をクリアするのが目標でした。

目標その1:ナビゲーションスキルを向上させること
目標その2:脚力をつけること

昨年の大会後、切磋琢磨しようね!と言ってからのこの1年...。
う、やばい、自分、そんなにスキルアップしていない!
という状況で迎えたOMM(The Original Mountain Marathonの略です。正しくはね)、
いよいよスタート!


1日目、スタートからゲレンデの急登。

その奥に進むと、山岳地帯へと入り込みます。
スタート時に、雨が降るのは覚悟していたけれど、雪や風が吹き荒れる稜線は視界がまったくなし。

山の総合スキルを問われるレースという事ですが、普段の山登りだったら「危険!引き返せ」とアラートが鳴る状況です。

雪と泥で足が取られてはすってんすってんと転び、風にあおられてザックカバーが飛んでいく。後ろにいた方に「取るまもなく飛んで行っちゃったよー」と言われ「あ、いいですいいです。(本音:どうでもいいです)」。
新品の雨具が、地図が泥んこに。
靴の中もすでに泥汚れでぐちゃぐちゃ。

少しでも立ち止まると指先から冷えてくるので、とにかく体を動かし続ける。
ここでかなり体力を消耗。

ここを引き返すコースでは、本来なら地図読み不要で走れるところなはずでしたが、
足も前に出ないし気力もわかない。
のどの渇きを感じつつも水筒を出すのも面倒。笹の上に積もった雪をかじったり、泥を浴びた雨具に雪をこすりつけたりしながら何も考えられずに前進。

山岳エリアを終えてからは、ナビゲーションスキルを要されましたが、昨年散々悩んだコンパス直進が、今回はうまくいきました。
ポーリンのナビゲーションの精度が上がっています。
2人なので、私が距離と標高を担当、ポーリンがコンパス直進で右左と指示出しをするという編成を取りましたが、今回これがうまく機能しました。

しかしながら、途中のCPで関門オーバー。
ルールに従うなら、ゴール制限時間内までに戻る方が順位には残るのですが、なぜか2人してその考えは全くなく次のCPへと回ることしか考えられず。
スタッフがCP回収の場に来て「はい、もうおしまいですよー。今日のゴール地点に自力で戻ってください」と言われるまでひたすらどうやって次のCPに進もう、しか考えられなかった。

自分のナビゲーションの未熟さがここで、全体構成を考えられないのです。
つまり、制限時間を超えたゴール到着時点で、リタイヤ(失格)になったということ。

そりゃ、ストレートロングの実力には達していなかったてことだよなあ。無謀な挑戦だった、、と分かっていたはずなのに、な・ぜ・か・途中で失格になった場合の扱いのルールを読みこんでいなかった私は翌日に起こる事件を想像すべくもなかったのでした...
今年の夏は、珍しく長めの夏休み。

というわけで、思い切って八ヶ岳縦走にチャレンジしてみた。

ざっくりとした計画で立てたのは、天狗岳中心に、茅野側の西から入って東の小海線に出ようというもの。

1日目は、茅野駅からバスに乗って、渋の湯まで。



ここから登山開始♪

今回の登山スタイルは、
1) 小屋泊
2)食べ物は自炊

....テントは、次の機会にという事で、今回は小屋泊にした。
しかし、この荷物にテントとシュラフ足したらどえらいことになるな。



9月入ったばかりというのに、山に入ると秋の気配が漂う。






ここ数年。、山と言えばトレイルランばかりしていたもので
久しぶりの10kg以上の荷物が重く感じます...トホホ
テント泊じゃなくてよかった!!

日曜日出発で行くと
山道では滅多に人に出会わない。

たまに出会うのは山から下りてくる単独の人。しかもキレイな女性がまあ多いこと。

これは、八ヶ岳の中でも女性的と言われる北八ヶ岳の特徴なのかな。
これが最高峰の赤岳につながるトレイルだと男性が多いのでしょうか。

重く感じる荷物に耐えて3時間ほどで
本日の宿、黒百合平ヒュッテに到着です。

この黒百合ヒュッテに併設される、「黒百合カフェ」にてビールを注文。



山小屋目の前には、明日登頂予定の天狗岳が広がる。と思いきや曇りで視界不良でした。
この小屋内の図書コーナーで「岳」を読みふけるダンナと
新田次郎を読む私。
この新田次郎がこの先ひょんなところで再会するわけですが、それは後ほどという事で。

さて、明日はどうなるかな?


季節がらなのか、人生のいくつかのうちの一つの折り返し点ということなのか
この1週間で憂鬱な気分に取りつかれている。

きっかけは、、、たぶん、1週間前の実家からの連絡。

「梅酒作ったから、取りに来なさーい」

これには何の意図もない。きっと。

でも、それを「面倒くさいなあ」と思ってしまった自分。
そんなの取りに行く時間あれば、走りに行きたい。
でも実際には走ることが日課になっていない毎日。
寝て休みを取りたい。でも毎日満足に寝る時間も確保できていない日々。実際には寝床に入ってからスマホをいじっているという無駄な時間を多く過ごしている。

それなのに、徒歩10分足らずで行ける実家に行くことさえ煩わしいと思う自分に落ち込んでしまった。

実家に行けば、実家のイヌが私を見つけて「散歩に連れて行って♪」と期待に目を輝かせてまとわりついてくるであろう姿が目に浮かぶ。それを見て見ないふりをして通り過ぎた後、彼らはガッカリとして寝床に戻るんだろう。

ここ最近、夜になるととにかく寝たくなってしまう自分。
仕事内容は大したことをしていないのに、拘束時間を長く感じる。
家事だって大したことをしていないのに、3食×2人分作ることだけでさえ、つらいと思う。

そして今日、1週間後の週末にやっと実家に行って、これから梅酒になるであろう大瓶を受け取った。
家に戻って大瓶をみているうちに、なんだか自分がとても情けなく感じた。

小さい頃は家族総出で庭の梅や杏をもいで終わった日曜日をとても楽しく感じていた。
その時の母の年齢をとっくに超えたというのに、いまだに梅干しや梅酒を作ったこともない自分。
今や収穫でさえ全くかかわっていない。

両親も叔母も今でもあの、昔住んでいた家の庭になっている梅や杏の実を取りに行っている。
あの庭で採れた杏ジャム以外おいしいジャムを知らない。
梅干しはお金を出して買ったことがない。
梅酒は、、、実家で作ったもとより酒場に置いてある梅酒の方がおいしいと思う、正直言って。

でも、これまでそれを当たり前のように受け取って消費することしかしていなかった。
作る過程に一切かかわっていないのに、この先両親がいなくなったらどうすればいいのだろう。

おいしい梅やアンズを作るのに、どれだけの週末を両親はつぶして車で昔住んでいた家に通ったことだろう。
肥料を与え、土を耕せばよいのだろう。
それだけの水を使って実をきれいに洗い、器具を消毒してこれを作り出しているんだろう。
その時間をまったく自分は知らない。

でも、その手間暇かけて作った成果を私は面倒くさそうに受け取ってしまった。

いいんだろうか、これで。
これで、自然が好きとか、どの口が言ってるんだ。

私が愛していると思い込んでいた自然って、そこにあるものをただ単に見るだけで終わっていた。

春先にきれいだね、と言って眺めていた花はその後実になることを忘れていた。
そして、自然の恵みを受け取って食べられるように作り上げていく時間をまったく持てない。
そんな生活でいいんだろうか、という思いがここ数日消えない。

仕事していれば梅干しを干す時間をどうやって持てというんだろう。
でも、仕事をしながら子供を育てる人がいるように、今の季節実を収穫して洗って梅干し作りをやっている人もきっといるのだろう。

そういう人に自分は程遠いところにいる。
走るよりも、ゴロ寝するよりもそういう時間を持つことが大事じゃなかろうか。

これまで、平日は仕事して、その分週末はリラックスしてまた仕事を頑張る、というサイクルにいることに何の疑問も持たなかったけれど、でも、煩わしいことはやらないでいいのかな。

来年までこの気持ちを持ち続けられるだろうか。
いや、この気持ちは消すべきではないと思う。
来年は自分が育ったあの家に行って、実をとってこよう。
私が木に登って実をもいでこよう。
そして自分が収穫したものを立派な梅干しにしてみよう。

そうしたら、今のこの気分からやっと解放される気がする。
前半で、大善寺ことぶどう寺を出発した女二人。
寺で飲んだワインのおかげで足が重く、、、

ぶどう寺があまりにも楽しかったもので、気づけば昼も過ぎて13時。
とりあえず町の中心にある、「勝沼ぶどうの丘」を目指せば食べ物も温泉もあるってことで
最終目的地を目指したワケですが


右もぶどう


左もぶどう




上から下までぶどう

勝沼、ぶどう収穫真っ盛り。

途中でたまたまふらりと立ち寄ってみたぶどう園で
「あんた達車?え、走ってきたの?ぶどう出すから食べて行きなさいよー」
とおじいさんに案内されて、二人で「?」顔で案内された椅子に座ると
こんなん出てきました。

んもう、ビックリ。写真じゃ伝わらないんですが
粒が大きい。
こんなの普段の買い物じゃ見られません。
6種類はあったかなー。
右奥にある長細い品種が「マネキュアフィンガー」。これは覚えた。
一緒に漬け物も出されるんですが、あまりに甘いぶどうなもので
この漬け物がとってもありがたかったです。

ぶどう、のどから手が出るほど買いたかった。

しかし、今日は行動はすべて自分の脚というワケで
今見ため3キロはありそうな生ものを買おうものなら
荷物になって走れなくなるし、泣く泣くぶどう園を後に。

(「金盛園」のみなさま、あの日、さんざん試食して、
ワインも試飲しながら消えた女は私ですー。
ごめんなさい!)

勝沼にはワイナリーがいっぱいあります。。。

うっ、でももういい時間。今日はあきらめるかーと思っていたその時。

ぶどうの丘を目指している途中で目に入った看板。

おお、ここここ、これは!

キャー。ステキ!ぶどう畑の中にオープンテラスのカフェが!



迷わず一杯。
Haramo Blancの氷入り。

ワイナリーってとってもおしゃれ。
この中にある古民家風の建物内は
一階がワインコーナー、二階がカフェとなっております。
カフェは人が並んでいて入れず
そして一階のワインコーナーでいろいろ飲み比べる。
(写真忘れた-)

そもそもこのワイナリーは、まったく初めて聞く名前だったのですが
その日、駅に降りてから
この地域で作られるワインを紹介しているギャラリーに寄ったときに
「ラベルがカワイイ」という理由で印象に残っていたんですが
ここは大正解でした。


ホットドッグと一緒。


ホットドッグ...じゃなかった。ワイナリーの犬。

原茂園を出てからは、今度こそぶどうの丘目指して坂を上る。
...と思っていたら、フランスの田舎にある教会のようなたたずまいの
建物を発見する。





あいにくぶどう収穫期ということでショップは閉まっており
外から中を見ていたら、軽トラックが近づいてきて
「ごめんなさいねー。今日はぶどう収穫でお店閉めちゃったんですよねー申し訳ない」
とオーナーらしき人に声をかけられる。

後で検索をかけたところ、
シャトージュン」なる、ここはアパレルのJunグループ(アダム エ ロペは私でも知ってる)が経営するワイナリーということでした。
どうりで、ショップ内にシャツとか置いてあったのか。
しかも、本格的なワイナリーらしく、JALの機内で提供されるワインを出荷しているそうです。

すげえ!

ここは、再度来よう。

....さて、さんざんみちくさを喰った末にたどり着いた
勝沼ぶどうの丘」。時刻は既に16時過ぎ。
ここは、ささっとダイジェストでご紹介。
(記事長すぎるよ-。すんません、うまくまとまらなくて)

試飲用のタートヴァンを買った。


地下のワインカーブで飲みまくった。

風呂に入った
(写真は当然ありません)


食べた。


帰った。


おしまい。


...はしょりずぎ。
ま、良いのです。最終目的地に行くまでがちょー楽しかったもの。

もちろん、お土産のワインも購入しましたよー。
いろいろ試飲してみたんですが
山梨のワインは白がおいしいと思いました。
で、唯一立ち寄ったワイナリー「原茂園」のが一番おいしかった。

ワイナリー巡りは楽しい。
車で回ったら飲むことができないなんてそれはもったいない!!
自分の脚で走って回れて、実際目にして、
「ここはおいしいに違いない!」と直感を信じて実感できたのが何よりの収穫だったなー。

勝沼ってパラダイスです。
今回行けなかった場所もまだあるので
また週末おでかけパス使ってきてみようっと!
次回はもっと大きい荷物の入るザックにしないといかんなあ。(何故?)


オッス!オラハイジ(大嘘)。


$ぽれぽれカエルが雨に鳴く


最近ブログは農耕放棄地並に放置されておりましたが
やっとやっと、「ブログに残したい!」という旅の記録ができました。

SNSだと短いメモ程度な報告にはいいのですが
ブログだと自分の自由に編集できるのはメリットだよなー。


さて、折しも台風18号が本州に直撃するんじゃないかとびくびくしていた
連休1日目、7:45ヨコハマ発の「はまかいじ」に乗って旅に出たのでありました。

今回の旅の道連れはちょび殿。


$ぽれぽれカエルが雨に鳴く

(ワイナリーで犬と戯れるの図)

そもそも、今回は「久しぶりに山に行きたい」っということで企画を立てたところが
台風がきちまったもので、列車の切符キャンセルするのも悔しいので来たようなもの。
勝沼ぶどう郷に来ればとりあえず、3歩歩けばワイナリーに行けるだろう、という
とんでもなくアバウトな計画と妄想でもって
「あらら、うTさん、そんないい加減な予想でお友達を巻き込んでいいのかしら」
と、
どこからかぶらり途中下車旅のナレーション風な天の声が降ってきそうなかなりアヤシイ旅の始まりなのでした(汗)。

とりあえず、駅前の観光案内所に寄って、駅近くにあるという大日影トンネルへ。

$ぽれぽれカエルが雨に鳴く

おおおー、涼しいー。
外の暑さが嘘のよう。
内部はとても静か。
自分たちの歩く足音しか聞こえない。

お次は、昔トンネルだったところをワインセラーにしているという場所へ。

$ぽれぽれカエルが雨に鳴く

ひえー、こーんなところに個人でワインを貯蔵できるなんて
一体どんなデビ夫人ですか?と唖然として案内を読んだところ、
1か月、30ケース入るスペースを鍵付きで貸してくれて
2500円程。意外と安いと思ったのでした。


山梨県では「やまなしフットパス」という歩くための散策路が整備されていて
道案内は至る所に出てくるし、幹線道路脇に気軽に入れる遊歩道も多い。

「ぶどう寺」という案内が出てきたので、じゃあ行ってみるかー
どんだけぶどうなんだ見てやろう、くらいの軽い気持ちでフットパスをたどってみることに。


$ぽれぽれカエルが雨に鳴く

山門の道のりをダッシュ!


本堂に着いて、びっくり。
かなり大きい建物なんですが、本堂が茅葺きでした。

$ぽれぽれカエルが雨に鳴く

ここの寺の謂われを読んでみると
奈良時代の行基(役小角)が開祖とのこと。

役小角といえば、、、その昔「宇宙皇子」読んでたなあ。なつかしい。

暇だったので、ついでに英語訳なんても読んでみると
日本人なのに実は知らない事なんてもある。
「薬師如来」は女性と思っていたが、英訳だとhisなので男性のことなのねー。

五輪がやってくるまでに日本文化の宗教のお話は勉強しておくべきかなあ、とつくづく思った。

ここにあるご本尊の薬師如来は、手にブドウを持っているとても珍しい仏像。

$ぽれぽれカエルが雨に鳴く

実物は特別な時しか見ることができないので、その日は写真を拝むのみでした。
(お寺のホームぺージより)

ここからは勝沼の景色が一望できるし
神聖な空気が充ち満ちているまさにパワースポット。

そして、さすがここはぶどう寺。
境内にもブドウ畑を所有し、ここの住職さんを中心にワインを作っているんだそうです。


$ぽれぽれカエルが雨に鳴く

庭園を眺めながらワインをいただく。

そんなことをしていたら、既にいい時間に。
次に行くかー、と走り始めたらワインのせいか足が重い。

はて、どうなる?
(つづく)

エイドの富士宮中学校から、その次のエイド、本栖湖スポーツセンターまでの距離は30k。
その間は、UTMF、STYともに最大難所となる天子山山塊を通る。

だから、富士宮中学での掲示板情報で、コース最高峰の毛無山の山頂気温がマイナス4度とか
風が強いから低体温に注意せよ、とかおどろおどろしい情報がボードに書かれているのを見ると
戦々恐々としてくる。


スタート地点では荷物チェックと福田六花先生のメディカルチェックを受け
立花先生に「まずいと思ったら、ここまで戻ってこれる体力は残しておいてくださいね」
と言い聞かせられて「さ、いってらっしゃーい」と握手してもらった。


これから、魚雷に乗り込むんじゃなかろうか。特攻隊か?
でもうちら、特攻隊だよなあ。。。。
どんだけすごいんだ、STY。


スタート直後は、河原を通ったり、農道脇を通ったりとのんびりとした田園風景が続く。
17時近くになって、そろそろ日暮れ時という時間になって登り坂が始まった。

この登り坂というのが、た、たしかに半端ない急登なのだ。
周りを見ると、ストック使っている人がほとんど。
こっちは普段から使っていないし、レース1ヶ月前になって急に「必要なんじゃなかろうか」とあせったものの、やっぱり使いこなしていない今になったところで、余計な荷物になりそうだしなー、と荷物の軽さを選んでしまったので、
「私は今日、間違いなくこの世で一番の大馬鹿者じゃなかろうか」という気持ちになってくる。

ただ、、、、まあ、私のいるあたりのペースって押しも並べて「完走できればいいや」という人たちなので、思っていたよりもペースがゆっくりしている。
ストックがない自分でも十分ついて行ける。

そのうち、「ん?後ろ姿をみればジャニーズ系」な二人の若者につき、結局彼らについて(食らいついて?)登り続けた。

とはいっても、この二人とはピーク到着時に相手が休憩を取ったので顔も見ぬままに別れてしまったのでした。そして、また獲物を見つけて後ろをくっついていく、ストーカーキングうT。


コースのピークは毛無山という箇所なのですが、この「ピーク」という言葉に振り回されては決していけない。
登っても登っても、その次に急な崖のようなところを下り、そしてまた登る。
一番マイッタのが、急な下りで、渋滞の連続だったこと。
(急斜面と、ものすごい滑りやすい泥質の坂)

これはかなりテンション下がった。
なんぜ、登りで1キロあたり40分近くかかっているので、下りで取り戻そうと思ってたのに下りも1キロあたり40分かかるのだ。

誰だよー、1時間で3キロ進んで午前2時にエイド到着って考えたのは。(自分だよ)

気づけば立派な深夜。
厳しい登りの時に、ちょこっと道の片隅で横になりたくとも
止まると体温が下がるのが自覚できるので、10分休むのが限度。
でも、コース脇にはエマージェンシーシートをかぶって横になる人なんても出てきて、彼らを横目に敗走兵のように先に進む。

ピークも終わりの竜が岳の手前になってようやくトレランらしき走る体制がやっと出てきた、というところでそこを下たとことにある次のエイドの灯りが目に入ってきた。

午前2:30、本栖湖スポーツセンター到着。

到着するなり、トイレタイム!と、ここは靴を脱がなくちゃいけなかったり、出される食事をもらうのに行列したりと、躊躇するなあ、と思っていたら、
ダンナがエイドに到着した。
相手が休憩しているときに追い抜かしたようで。
道ばたにごろごろ転がっている人たちの中にいたのかあ。気づかなかったよ。

ここでは、鹿カレー、なにかのどんぶり、コーラなんてが出されましたが
水を取り過ぎたのか、そろそろ食欲がなくなってきた。
旦那と会話している内に自分の声が変になっていることに気づいた。
一晩じゅうゼーゼーハーハーとやっていたせいか、のどが痛い。

でも、これくらいでリタイヤするほどでもないので、
胃薬、エスタロンモカ(カフェイン錠剤の眠気冷まし。←仕事でお世話になってます)なんてを服用して、マッサージを受けるというダンナを後に本栖湖スタート(午前3:50)。
エイドで、トイレに行きたいがために靴脱いだり結構手間取ってたんですが、出発した道路沿いに、キャンプ場、公園、駐車場とトイレ設置場所が多い!わかってたらこっちを使用していたのに!

実は、この本栖湖、鳴沢氷穴間の14キロていうのが、レース最大の難所でした。自分には。

ずーっとロード。
オフロードは、その間にちょこっと登場した富士の樹海の中でここは気持ちよかったんですが。。。。
時計のGARMINは、電池切れ、メモリーオーバーで機能せず。
それは見越していたので、普通の時計を使用して、「そろそろ10キロ超えるかな」と思って樹海を出て、目の前に、地平線の果てまで続いていそうな国道を見た瞬間の、がっくり感といったら。
そして、エイドでとったもろもろでカフェイン過剰摂取だったらしく頭痛まで感じてきた。ううっ。

戦意喪失のまま、鳴沢氷穴到着午前7:10。
こ、こんなに果てしなく長い14キロって初めて。
はー、ここで最後のエイドかあ。
さすがに、ここでリタイヤとかは考えもせず、エナジードリンクのMAD CROCを飲んでいたら、見覚えのあるダンナのシルエットが見えてきた。

じゃ、一緒に行っちゃいますか。

ここから、二人でゴールに向けて出発。
さー、これで最後だ-!でも、もう走らない、ていうか、走れない。

樹海を歩いてから、河口湖へ抜ける峠のような山を登る。
ここで、このレースで初めてレース途中の富士山を目にした。
山の中にいたときは夜中で景色は堪能できなかったので、翌朝になってやっと目にした富士山の大きさを見て「はあ、これがSTYなんだなあ」としみじみと感じた。
この、最後の10キロというのも延々と登りが続き、下りも終わったと思ったらまた登りが登場して下りが出てきて、、、というヒジョーに憎たらしい道のり。
山道を下って、やっと道ばたに出たー!と思ったら、今度は湖畔の道のりを辿ってゴールまで5キロあるとか。完全にがっくり、であった。

はー、もうつかれもピークだ、と思いながらトボトボと歩いていると
写真撮影隊が突然目の前に現れたりするので、気が抜けない。
(しかし、あとでオールスポーツにUPされた中に「これは焚書!」と言いたくなるようなヒサンな顔をしている自分がいた)

というわけで、湖畔の道も、ゴールに行ける道の喜びがあるようなないような、と思っている内にゴールゲートが見えてきて、「ああ、もう終わっちゃうんだーなんだか残念」とかとんでもない考えも出てきたところに二人揃ってゴール。

23時間21分にて、82キロ完走。(完歩?)

ゴールで、知り合いの人から「よくやったねー!二人でゴールだよ!」と祝福を受けていると
なんと、レースディレクターの鏑木毅さんから握手してもらった。これはすごいうれしかった。

思えば昨年秋、ダンナから「今受け付けやっているんだけど、出ない?」とほぼ冗談で言われたのを「うん、出る」とはったりもいいところで申し込んでから、いろいろとあったけれど、未知の距離を完走できてしまった。
でも、いつもの自宅ー鎌倉コースがこの半年でバリエーションが増やせて、知らなかった道を知ったり、自宅から夜通し三浦海岸まで歩き通したり、身近なところで、一番身近な人といろいろとやったけど、その練習が完走に結びついたんだな-。本当によかった。

その後1週間、体が痛いわ、のどをやられちまうわで、まだまだ復活とはいかないのですが、早速山に行きたくてうずうずですよ。
後先何も考えずに行動するのは独身までだ!

、、、と決心したはずなんですが、なぜか参加してしまった
UTMF。(のショート部門STY。)
UTMFのコースは富士山を中心とした1周で155キロだとか。
STYは、、、、82キロです。


5月19日。天気、晴れ。
ここは静岡御殿場の「富士山こどもの国」


な、なんで私はここにいるんだろう。。。


寝不足の頭を抱えつつ、ふんどし一丁で太鼓をたたきまくる「鬼太鼓座」男衆の鍛え上げられた筋肉をみながら、なんで申し込んじゃったんだろう。ばかばかばか。
でも、ここで引き返したら、参加費がもったいない!


午前10時スタート。
隣にいたダンナは、大会実行委員の三浦雄一郎御大と「握手してくる!」とスタート台へ。
早速別行動になったけど、ま、これは想定どおりです。

よく「二人で一緒にゴール」とかいうけど、これは自分ら二人にはないよなー。
「果たして完走できるのか?」が最大のテーマの自分とはわけが違うので、
行ける人にはさっさと先に行ってほしいのだ。

スタート直後は、うーむ。思っていたよりもペースが速い。
スタートから舗装路だけど、上り坂だし、はて、どうしようかな、と思っていたら
前後を走る人の中に友人発見。
信越110km完走の実力があるその友人に
「信越完走は、前半を歩いたからできたんだよ。今回は1キロ10分で進んでも十分余裕あるんだからさ」という助言に沿って、私も上りは歩くことに。
(でも、実際に歩くまでジレンマだったよー。なんでしょうね、あの罪悪感は)

スタート時にすでに行きたかったトイレが、やっぱりスタートしてからも行きたくなる。
スタート前に十分行ったはずなんだけどなあ。。。エナジードリンクの「モンスター」のせい?エナジードリンクってそういう効果があるのかしら?
と、コース沿線に見つけたトイレに早速飛び込む。

ここであせる気持ちが落ち着いて、「ま、ゆっくり行くか」とのんびりモードに入ることにした。

スタートから次のエイドまでは、ほぼ林道。
普段は立ち入り禁止の工事車両のみが通るような
富士山樹海の中にある道をひたすらたどっていく。

足に余裕がある人は後からどんどん追い抜いて行くのですが
抜いていく人の中に、ビブラムをはいている人をよく見かけました。
ビブラムもすっかり市民権を得たようですが、でも、こんな長丁場に向いているのかなあ。。。でも、この人たちよっぽど普段鍛えているんでしょう。スゲエな。

最初は、1キロ進むごとにアラームがなるGPSを見ては「速い、速いってば!」と思うことがしょっちゅうで、次第に慣れてくると「10キロで90分」のペースで進んでみようと決めた。


最初のエイド(北山)は13時到着。
ここは水提供のみの簡易エイドだったので、水をボトルに入れてもらうだけでスタート。
かんかん照りの日差し中を、延々と送電線に沿って歩き続ける。
日差しが強いけど、風が冷たくて気持ちいい~。


せっかくの平地でしたが、このあとの難所を考えるとどうしても走り出す気になれず
ちょうど目の前に歩く人が程よいペースなのをいいことに
桃太郎のキジにでもなった気分でついていく。
(今回、あらゆる人に勝手についていった。)


草原らしきところを抜けると、ロードが登場。
エイドまで5kmぐらいですが、ここからはジョギングで行くことにした。
このUTMFのコースというのは東海道自然歩道を利用したコース設定のようで
歩く人向けに設置されたトイレなんても結構出てくる。
次のエイドまでもう少しというところでも公衆トイレを利用した。
(エイドだと混雑するからね)
...って、このブログ、トイレの記事ばかりではないか。


エイド(富士宮中学校)14時半到着。
ここはかなりにぎやかな、「ステーション」でした。
この後、コース最大の難所天子山山塊が出てくるのでここで休息をとって行く人が多い。
テレビの取材なんかも見かける。
先についていたダンナ、友人とも再会して
エイドでアミノ酸系のドリンクが出たり、富士宮焼きそばを食べたりとした。
ここで出された冷甘酒が極ウマでした。
ここでは、体育館で施術しているマッサージを受けた。
レース途中のマッサージがすっごいよかったー。グッジョブ。

結局、出発は15:50とのんびりしてしまいましたが。。。。


このとき考えていたのは、
これから登場するのぼりはかなりハード、
ペースとしては、1時間に3キロってところかなあ。
下りで取り戻せるとしても、次のエイド(30km先)は10時間後。
2時到着かあ。。。関門が6時だから結構余裕かな。
うまくいけば、20時間でゴールできるかも?

.....この後、とんでもない展開が待ち受ける。
不惑のうT、大絶叫!の巻へ。
(つづく)
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日曜日は、根岸森林公園に行ってきました。

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猫に導かれて、山を登る。

それにしても、根岸森林公園ってあんなに広くて大きくて、すんばらしい場所だというのに
駅から気軽にいけるというロケーションではないのよね。
どこから行くのが一番よいのかいまだにわからない。

だから、穴場なのかもしれませんが。。。


この日は、森林公園のトラックのようになっている遊歩道をぐるぐるとひたすら周回した。

走っている最中に、1年前のこの日に震災があった時刻になった。

どこかから、打ち上げるような音や汽笛の音が聞こえる。
走りながらですが、「あれから一年いろいろとあったなあ...」と、この1年に起こったもろもろの出来事を思い返して、自分がいま、ここで走っていられることに感謝して、この1年をむかえられずに犠牲になった人たちのことを考えて、この1年、この先もいつ終わるかわからないつらい気持ちを抱えたままの人がいることも考えたりしてみた。

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この日は走っていると結構暑くて、最初は「10キロは行くぞー」といきごんでおりましたが
周回コースとはいえ高低差はあるし、汗が激しいわで、結局8キロぐらいで撃沈した。

こ、こんなんで、UTMFとかエントリーしていいのかしらね。。。。

根岸森林公園、ただ今梅が満開でいい香りがしてます。
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来年もこの梅を見られますように。

当たり前のことを書いているんですが、こんなことを来年も書けるのかもわからない、という気持ちを抱くことになるなんて思いもよらなかった。
でも、来年も梅のことをまた書けますように。